■「森の夢」 ■
 或くる朝の出来事。
リノアンは夢を見た。それがあまりに鮮やかに残っていたから、その日は朝からどこか ボンヤリとしていて、物思いに耽ってしまっていた。
 鮮明な夢は現実感を凌駕する事がある。
窓辺で両の手を組み、形の良い顎をちょこんと乗せて遠くを―窓から広がる展望の一角。
深い緑を湛えた森を、ずぅっと眺めていた。森は動かず、ただそこにじっとある。
さもすれば、街や王宮を飲み込もうとしているようにも見て取れる程に広大な広がりを 見せて、その向こうの果ては地平線へと吸い込まれて行く。
(あの森に、誰かがおるのじゃろうか・・・?)
 森の夢だった。
 そこで誰かに出会った。
 大切な出会いだったように思う。
 いつの出来事なのかは皆目分からない。未来の出来事なのか、もはや過ぎ去り失わ れた記憶を、夢と言う形で再生しただけなのか。目覚めは不快なものではなく、あの悪夢 などの後に来る波のような、何度も押し寄せては引いて行くザラザラとした不安や、胸を 締め付ける圧迫感は皆無で、むしろ心地良い程だった。
 だから余計に意識してしまうのだろうか。
 誰かに出会って、楽しい時間を森で過ごしていた夢も、目覚めればベッドに一人。
言葉にする事も出来ない、夢に起因する寂しさ。どうしようも無い事を理性は理解してい ても、感情は別に動き出して焦燥、寂寥、と綾を成していく。 夢を頼りに、森を訪れてみようか・・・?
いや、何もそこまでする必要などないのではないか・・・。 いかに鮮明な夢であっても、現実へのその影響力を推し量る物差しは存在していない。
徒労に終わってしまったら、それを信じた自分の気持ちばかりか、夢で「出会った誰か」 をすら否定してしまうような恐怖を、漠然と感じていた。
大切だと感じてしまったら、人は例えそれが不明瞭なものでも、不確かなものでも、切り 捨てる事に恐怖を覚え、逡巡する。怖いもの知らずな人とは、そんな感覚が欠如している のではないだろうか?もしくは、自分の内面を認識していないだけなのか。
 じっと身じろぎせぬリノアンの背中で純白の両羽根が、小さくはためく。
 最近怖がりになったな、と胸の内で呟いて微かに破顔一笑。
 (曖昧なままでいられるほどにまで、わらわは大人になってはおらぬ)
 すっくと立ち上がると、両手両羽根を思いきり伸ばし「ん〜〜〜っ」と背伸びをする。
 羽根は力を孕んで大きく、その限界まで広がって、最期に強い羽ばたきを一つした。
 白い羽根の数枚が部屋の中へと放たれ、天井と床の合間をフワフワと舞い落ちて行く。
「決めたのじゃ。今日は森へ行く!」
 誰へとは無くそう言って、リノアンは自室の窓から身を乗り出すと、遠くに見えている森の 深い緑をじっと見据えてから、今度ははっきりと微笑した。
「今日がダメであっても、いつか出会える。森のお前が見せてくれた夢、信じさせてもらうのじゃ」
(怖がる事はいつでも、いくらでも出来よう。まずは信じねば!)
 そうして窓辺から、勢い良く踵を返してドアへと向かう。
 ドアノブを掴んで、ふと思い出したように、「ん。森へ行く前に街角にも寄ってみようかの」 と呟いて元気良くノブを回し、自室を後にする。その足取りは軽く、力強い。
やがて消えて行くその足音を、主のいない部屋の床上で、抜け落ちた純白の羽根だけが 聞いていた。「大切な出会い」と「誰か」を迎えるべく、森は今も、静かに眠っている。  
■BY 夜雲
 僭越、稚拙ながらリノアン嬢を書かせて頂きましたっ!キャラ使用の快諾を頂いてから時間が掛かってしまいましたけど・・・ね(苦笑)(2000,12,1)